1、アパートの決定と荘園不動産社長古旗(SAM)さん 〜ビザとグリーンカード〜
通常渡米する場合には、あらかじめ会社がアパートを決めてあったり、学生寮にはいることが決まっていたりするときを除いて、家族が1週間ほどホテルに泊まり込んでアパートを探したり、夫が先に行って生活環境を整えてからいくことも多い。しかし私の場合は、あらかじめアパートを決めておくために、7月に一回渡米していた。7月10日に成田を出発して、JAL006便でニューヨークJFK空港へ向けて出発した。今回全席TVモニターが設置されていたためか、前の座席との間が異常に狭い。斜め前のアメリカ人風の女性などは非常に大きいため(差別用語は使えない)、フライト中ずっと身動き一つ出来ない状態である。それ以前によくあの体型で着席できた(はまった)と驚いた(物理的に容積オーバー?)。 私も足すら伸ばせない状態で、12時間はさすがに堪(こた)えた。一方機内食は頻繁に出てくるので、私は関節痛のブロイラー(もしくはフォアグラのガチョウ)状態であった。
今回知り合いの第四銀行(新潟の地銀)の斉藤さんから、NYの不動産屋さんを紹介してもらっていた。斉藤さんは第四銀行の元第四銀行NY支店長で最後の支店長である。斉藤さんが支店長のときに、第四銀行はNY支店を撤収して引き上げてきた。実は私が学生時代1989年3月に卒業旅行で第四銀行NY支店(当時は駐在員事務所)にお邪魔したことがある。事務所は5番街の近くの1等地にあり、きれいなビルが印象的であった。当時のスタッフは日本人が2人、アメリカ人が2人であった。「これから地銀も国際化の時代です」といっていたのが大昔のようである。2000年現在、地銀ではほとんどNYに支店はないし、都銀もどんどんビジネスを撤退している。先日東京三菱銀行がNYで預金業務を辞め、ついに邦 銀で預金業務を行っている銀行はなくなってしまった。その斉藤さんがNY支店の撤収をお願いしたのが、荘園不動産の古旗社長である。
荘園不動産というと日本人にはややケバイ名前であるが、古旗さんが5年ほどまえに独立して作った会社である。斉藤さんから古旗さんを紹介してもらい、7月11日に会うということで話が付いた。あまり安いホテルに泊まるてと馬鹿にされるかと思い、インターネット経由で予約したヒルトンホテルに泊まった。JFK空港からマンハッタンまで、なるべく安く行こうと思い、空港バスに乗り込んだ。15分くらいすると摩天楼のビル群が見えてきて、ここに一年留学するんだという実感がわいてきた。長いフライトのあと時差ぼけでふらふらになりながらホテルにチェッインすると、既に古旗さんからホテルにファックスが届いていた。その後連絡を取り、明日メトロノース鉄道ハドソンライン・ライ(Rye)駅で8時30 分にあうことになった。ライというのは、昔ロバートデニーロとメリルストリープの「恋に落ちて‐Falling love」という映画の舞台となった駅である。
今回私はマンハッタンではなく、マンハッタンの北にあるNY州ウェストチェスター地区にアパートを借りることにしていた。日本人の駐在員が多くいる地域で、マンハッタンへは約30分ほどでいける。子供がいなければマンハッタンへ住むことも考えたが、子供連れなので郊外に住むことにした。翌7月11日、前日空港で買ったパンをほおばり、タクシーでグランドセントラルまでいった。ちょうど通勤客と反対方向なので、電車は空いていた。グランドセントラル駅を出発してから、最初に止まる駅がハーレム125丁目である。いきなり地下から地上に出ると、そこはハーレム。NYミッドタウンの金ぴかの高層ビルとハーレムの赤茶けた風景は、とても同じ国とは思えない。赤茶けて剥げた煉瓦(れんが)、破れたガラス、� ��てられた車、誰も住んでいない古ぼけたビル。まるで火星のような景観である。ハーレムをすぎると川を挟んでサウスブロンクスにつく。NYで最も危険といわれる地域である。駅の外側の落書きと鉄条網が、その実体を映し出している。NYは好景気が続いているといわれているが、未だ変わらない現実がそこにはある。
ところが10分もすると、風景が一変する。のどかな緑あふれる住宅街が目の前に広がる。2駅前には想像もつかなかった高級住宅街然(ぜん)とした風景が展開する。アメリカ階級社会の一部を垣間見たような景色である。電車は、時刻通り8時30分ライ駅に着いた。既に古旗さんが駅で待っていた。アメリカであったが一応名刺交換をし、日本式に挨拶をした。これから半日かけて6〜7件の家を回るという。とにかく今どこにいるのか、具体的にどこを回るのか全く見当がつかなかったので、古旗さんに任せるしかない。古旗さんがどうぞというので車に乗ろうとしたら、古旗さんが苦笑して「こちらからどうぞ」と教えてくれた。日本と運転席が逆なのをすっかり忘れていた。
最初に見にいったのは、ハリソンという駅前にある一軒家で、日本人の若い奥さんが日本へ帰る荷造りをしていた。日本式にいうと間取りはかなり広い3LDKで、バスルームが2つある。随分優雅な家だなと思った。しかし値段が2800ドルという。とりあえず話だけ聞いて、次へ向かった。その後何軒か不動産を見て回った。その地域はいわゆる高級住宅街ということで、途中「ここは野球のNYヤンキース・トーリ監督の家ですよ」とか、「前の市長の家ですよ」という説明を何回か聞いた。当日は快晴で、これぞアメリカという(?)天気で、緑濃いウェストチェスター地区を古旗さんの車で回った。ゴルフ場が点在し、映画の1シーンのような家が多かった。
最後に1件、これが現在の私のアパートであるが、急に情報が古旗さんの携帯に入ってきた。「ついでにもう一軒いってみましょう。」と古旗さんはいう。そこは今までの不動産と異なり、日本でいう賃貸マンションで、駅にも近い。しかも日本人が多く住み、コンシェルジェ(受付)が24時間チェックしている。部屋も日本の私のオンボロ官舎に比べ格段に広いうえに、ユニットバスが2組み付いてる(いわゆる2バスルーム:2BR)。我々はアメリカ暮らしビギナーであるので、ここが気に入った。家内とも国際電話ではなし、ここが良いということになった。古旗さんにその旨告げて大家と連絡を取ってもらうことにした。
不動産を見て回っている間にも、古旗さんの携帯電話には絶え間なく電話が入る。その際古旗さんはHow are you(発音はハウワイヤーに近い)?, This is Sam Kobata.と繰り返している。どうやらSamというのは古旗さんのことらしい。昼食時間になり日本食でも食べましょうかという話になった。近くの日本食レストランで$8.50の日替わり串カツ定食を食べながら、古旗さんの話をいろいろ聞いた。古旗さんは本名修(OSAMU)さんで、ニックネームをSAMとしていること、20年ほど前に留学のためアメリカに来て、その後ずっとアメリカにいること、永住権(グリーンカード)を取得していることなどをきいた。更にアメリカ市民権(Citizonship)をとると、法的にアメリカ国籍になる。例えば日本に行くときにもアメリカのパスポートになるため、今どうするか考慮中であるという。数年前に日本に帰ったら「女子高生の顔グロとルーズソックスにびっくりした。 」と笑いながらいった。もう日本に帰らないのですかと聞いたら、「今更何も日本のことを知らない中年の男を誰が雇いますか。」とやや複雑そうな顔をして答えた。
私は古旗さんからの連絡を待っていたが、返事はこない。大家は経営コンサルタントで忙しくなかなか捕まらないこと、そして大家は2年契約を望んでいることから、具体的な話は進んでいないらしい。今ニューヨークは景気がいいので、賃貸不動産は貸し手市場であり、そのマンションには既に他からも借りたいという話が来ているという。私はその間かなりハラハラしていたが、このためにわざわざ高いお金を払ったので、契約をして帰らないわけにはいかない。そこで一計を案じた。大家からする�
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