2012年3月30日金曜日

荒海を航るための新しい羅針盤?『コトラーのマーケティング3.0』 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る


興味深い思考実験

21世紀版『人を動かす』という派手な触れ込みで、日本でも非常に話題になった、ダニエル・ピンク氏の『モチベーション3.0』に、大変興味深い思考実験に関わるトピックがある。(同書P36〜39)

時は1995年、あなたは経済学の博士号を持ったビジネススクールの有能な教授に話しかける。『この水晶玉で、15年後の未来を見ることができます。あなたの先見性をテストさせてもらえませんか?』そして、こう問う。『これから二つの百科事典について述べます。一つはちょうど世に出たばかりですが、もう一つは数年後に現れます。2010年にはどちらのほうが成功を収めているか予測していただけませんか』 その一つはマイクロソフトが満を持して発表したCD- ROM(後にオンラインで販売)『エンカルタ』、もう一つは企業が発売するわけではなく、何十万人もの人が、自分の楽しみのために記事を作成したり編集したりしてつくられるウェブ上の事典『ウィキペディア』である。

2010 年の現在にいる私達はもちろんこの結果は知っている。2009年10月エンカルタは市場から撤退した。一方、ウィキペディアは世界最大の規模と人気を誇る百科事典に成長を遂げている。だが、1995年時点ではエンカルタの敗北など誰にも予想できなかったはずだ。ボランティアの寄せ集めで、世界の超優良企業が多額の資金と多くの才能を投入して作る製品に競争できるはずがない、というのが『ビジネスの常識』だった。私は長らくエンカルタを使っていたから、これが非常に良くできた製品であったことを身を持って知っている。だから、ウィキペディアが出て来た時に皆と同様こう思った。『勝負になるはずがない』

コペルニクス的転換

1995 年と言えば、Windows95が発売されて、本格的にインターネットの時代の幕が開いた記念すべき年だ。このインターネットが、というより、インターネットを介在して発言しつながった人々がビジネスに『コペルニクス的転回』を引き起こした。それはまさに、いままで太陽が動いていると信じ切っていたのに、実は動いているのは地球だったと気づいて愕然とするような大転換だった。

フィリップ・コトラー氏の語る新しいマーケティング

1995 年以前に企業のマーケターを始めた私達の世代には、この仕事をやる者なら一度はその著書を手にし、その名を口にしたであろうカリスマがいる。フィリップ・コトラー氏である。コトラー氏の著作はどれも非常に緻密で、マーケティングに関わる実践的なヒントに溢れており、しかもわかり易い。私も何度も繰り返し読んで、自分の仕事にどう生かして行けば良いか思いを巡らせたものだった。そのコトラー氏が新著『コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則』で最新のマーケティングを語っているという。これは読まないわけにはいかない。


大人は派閥を形成しない

右往左往するマーケター

2010 年の現在、市場環境が激変したことは、今ではもう誰もが実感できる。かなり鈍い日本のマーケターでも、『ソーシャル活用』だの『口コミマーケティング』だの口にするようになった。(どこまで本当に理解しているのかはわからない。恐らくどこかで聞きかじったのだろう。あるいは、『スマートフォン活用』だの、『クラウド活用』のほうかもしれない。)最新流行のバズ・ワードも沢山出て来て、それに対応した本も続々と出版されている。

だが、そのような本を手にしたマーケターが一様に戸惑うのは、従来自分たちが学んで来たとマーケティング・ツールや思想との大きな乖離だろう。確かに彼らの多くがツールの背後にある思想や戦略性を理解せず、手法として丸呑みしようしてしまっていることがその一番の理由ではあるのだが、一方で、本を書く側も目先の現象とその対処に捕われて、連綿と積み上げられたマーケティング思想との差異や違いをほとんど語れていない。その結果、現場のマーケターは今具体的に何をすればいいのかわからず途方にくれる、ということが彼方此方で起きている。

新しい羅針盤?

そういう意味では、フィリップ・コトラー氏こそ、その旧来のマーケティングと現代を繋ぎ、断絶を語ると同時に、具体的な施策のヒントを与えてくれるのではないか、という期待感を持つ人は多かろうと思う。私もこの本を見つけて、最初に去来した思いがまさにそれだ。コトラー氏が自分で定義する『マーケティング 1.0および2.0』の代表的な論客は他ならぬコトラー氏自身だ。今『マーケティング3.0』の時代を向かえて、その語り部として引き続き時代をわかり易い言葉で語り、現場の指針を与えてくれることを期待していいのだろうか。

その問いに対する私の回答は、『Yes and No』だ。従来の数多くの著作と同様、この本も非常に緻密に具体的な事例とアイデアが積み上げられている。中でも、過去60年のマーケティングの歴史から説き起こし、現代に必要な要素を眼前に示してくれる論説の切れ味は相変わらず素晴らしい。きちんと読み込めば、市場の激流のような変化に立ちすくんでしまったマーケターに、非常に多くの指針を与えてくれるのは間違いない。だが、読む側にもかなりの力量を要求する。具体例は語られるけれども、誰でも同じように真似ができるわけではない。

マーケティングの歴史

1950 年代、60年代のように製品が放っておいても売れた時代には、主役は製造業部門で、マーケティングに期待されているのは、後に4Pと略称されて有名になるように、製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)の4つをどのように組み合わせるか、というような戦術的指針を与えることだけだった。

(マーケティング1.0の時代)


wheneジョナス·ソークは生まれなかった

不確実性の時代と言われた80年代以降は、需要は不確実で競争も激しく、製品を製造するだけではなく、需要創出が必須となる。この時代、マーケティングは単なる戦術の次元から、戦略的な次元への進化を余儀なくされる。従来の『製品』中心から『顧客』を中心にシフトすることが重要になり、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングといった戦略的な顧客管理の考え方が導入される。

(マーケティング2.0の時代)

90 年代になると、インターンネットが登場して、インターネットを通して人はネットワーク化され、口コミによる情報伝達が促進されるようになる。その結果、情報は溢れ、企業と顧客との情報格差は急速に縮小していく。それまでのように顧客のマインドに訴えるだけでは不十分で、ハートにも訴えることが必要になり、マーケターは人間の感情に焦点を当てるようになる。そして、エモーショナル・マーケッティング、経験価値マーケティング、ブランド資産価値等の新しいコンセプトが導入された。

(2.0から3.0への移行期?)

移行期に方向喪失する日本

私の率直な感想を言えば、2010年代に入った今日でも、日本の大抵の企業のマーケティングはこのステージの入り口あたりを彷徨っている。というより、このステージを完全に咀嚼して自らの力にしている企業は実のところまだ大変少ないというべきかもしれない。それどころか、不景気のあおりで、マーケティングに十分な予算を割くことができず、立ち往生してしまっている。その例として、エモーショナル・マーケティングの先頭を走るアップルと日本企業を比較すれば、その差は嫌になるほど歴然としている。しかも、差は縮まるどころかどんどん開いて行く印象がある。

さらなる変化

だが、そんな日本企業を尻目に、市場環境はさらに大きな変化を遂げつつある。ネットワーク化/ソーシャル化が一層進んだ顧客は、企業と同等か時にはそれ以上の情報を持ち、企業を信頼せず他の消費者を信頼し、自らの意見を堂々と表明し、聞きたいことがあればコミュニティーで仲間に問いかける。企業の欺瞞やうそは簡単に見破られ、情報の秘匿は事実上不可能だ。うまく隠したつもりでも消費者コミュニティの集合知によってすべて暴かれてしまう。企業と顧客、市場での役割や相対関係は劇的に変化してきている。

読む側に要求される力量


may6aアンジェはどこに働くのですか?

現状では日本のマーケターがこの本を読んでも、読む側にかなりの力量と周辺情報がないと適切な羅針盤にならない可能性が高いと私が考える一番の理由は、日本がインターネットの利用という点では世界の中でも非常に遅れており、しかもその差はさらに開くように見えることだ。コトラー氏が前提としている環境が日本のそれとはかなり違うということがある。(日米の文化背景の違いも多分にある。)だから、日本人の読者の多くは、コトラー氏に将来像を示されても、残念ながらピンと来ないと感じる人が多いのではないかと思う。ただ、現れ方は違っていても、コトラー氏の語るエッセンスはどの国、文化にも共通している部分があるこれを読み解く力量のある人にとっては、非常に奥深いことが� �られていることがわかるはずだ。


それは消費者がより恊働的、文化的、精神的なマーケティング手法を求める、より洗練された形の消費者中心の段階である。ニューウェーブのテクノロジーは情報やアイデアや意見の広範な普及を容易にし、そのおかげで消費者は価値創造のために恊働することができる。テクノロジーは政治的・法的状況や経済や社会文化的状況のグローバル化を推進し、それが社会の中に文化的パラドックスを生み出す。テクノロジーは、世界をより精神的な視点からとらえる創造的な市場の台頭も推進する。 同書P44

マーケティング1,0と2.0の違いが、マーケターに『戦術志向』から『戦略志向』へのシフトを迫るものだったとすれば、3.0は『文化/精神/思想の理解』を必須の要素としてマーケティング関わる者すべてに要求する。いや、それはすでに狭義のマーケティングの枠はとっくに超えていて、『経営』そのものの変革を迫っている。

だから、ここから先はコトラー氏が含意するエッセンスを十分に咀嚼した上で、日本の現状を精確に把握し、そうして具体的な策を考案し、市場で洗礼を受けながらリファインしていくしかない。本を読むだけではなく、自分で考えて実践してみることが不可欠、ということだ。

これから生残って行く企業のあり方

私自身が本書から受取った、これから生残って行く企業の姿勢/競争力の源泉に関わるメッセージについて短くまとめると、おおよそ下記のような感じになる。


企業が自らの追求すべき価値を決め、本気で、全身全霊でそれに取組み、それに共感するユーザー(ユーザー・コミュニティ)を引き寄せ、ユーザー(ユーザー・コミュニティ)と共に創造する。創造性豊なユーザー(ユーザー・コミュニティ)との関係をつくることができれば、企業が追求する価値の中心に有能な人材が集まり、従来ではおよそ想像することも難しかったようなユーザーの協力を惹き付けることができる、それがこれからの企業の競争力のコアとなる。そしてそのような構想力こそが企業の競争の決めてとなっていく。


崇高な価値と本気の企業

この場合の『価値』を選択するにあたって、2009年9月の国連ミレニアムサミットで189カ国が合意した目標が参考として上げられている。どれも非常に崇高なものばかりだ。


 1.極度の貧困と飢餓の撲滅

 2.普遍的初等教育の達成

 3.ジェンダーの平等の推進と女性の地位向上

 4.乳幼児死亡率の削減

 5.妊産婦の健康の改善

 6.HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止

 7.環境の持続可能性の確保

 8.開発のためのグローバル・パートナーシップの推進

     同書P243

従来、マーケティングを行うには崇高な価値など必要ないと本音のところ考えられて来た。(大抵の人は今もそう考えている。)事実、『企業の社会的責任/社会貢献』のスローガンの元に、価値追求のお題目を掲げた企業は多かったが、そのほとんどは売上げを上げるために善行をなし価値を追求するふりをしていただけだ。そういう『ふり』は今回の不況到来と共にあっさりと底が割れてしまった。だが、同時に本気で価値追求していた企業(パタゴニア、ザ・ボディショップ等)が際立つことにもなった。そして、今後はこの種の『本気の企業』のみが生残って行くとされる。

日本でも、これを『美徳の経営』と称して『美徳』を経営の新しいトレンドとして世に示した野中郁次郎氏のような人もいる。企業の経営が透明になり、うそも欺瞞もすべて暴かれてしまうとすれば、逆に、美徳や崇高な価値を追求することの見返りも大きくなるのは当然とも言えよう。故ピーター・ドラッカー氏も、成功している企業は金銭的利益から出発して計画を立てるようなことはしないと主張しているという。ミッションの実行から始めるのであり、金銭的利益は後からついてくるのだと。

活躍の場は広がるはず

確かにオールドタイプのマーケターにとっては、天地がひっくり返るような大変困難な時代ではあるが、見方を変えれば、今ほど『下克上』が可能な時代もない。創造力に富む柔軟なマーケターの自由度は上がり、活躍できるフィールドは広がることが予想される。私自身も新しいマーケティングの時代を是非この目で見て実感してみたいものだと考えている。頑張らねば。



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